森林資源の循環と経済

林業って儲からないの?

正直言って儲からないようです。

まず、現実を見てもらいましょう。
OMソーラー協会で発行している 「共有PRO 2000年11月号」に天竜杉の例が載っています。

管理する期間かかった手間に対しての対価が妥当であるとは言いかねます。
このまま、日本の林業が衰退し、国産材が手に入らないという状況になってしまう事は、私どものような木造住宅のプレカットで生計を立てている者にとっても、皆さんのような一般消費者にとっても非常事態といえます。

国産材がなくなるということは、森林を管理する人間がいなくなると言うことです。
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森林を管理する人間がいなくなるということは、川や海がやせ、大気中にCO2が増えるということです。

ここに、NPOである「緑の列島ネットワーク」というところで提唱している「近くの山の木で家を作る運動」の意見広告抜粋があります。抜粋ではありますが、名文です。

※NPO緑の列島ネットワークが、2001年元旦の朝日新聞に、数千人の署名を並べた意見広告を出しています。以下はその要約です。長文ですが、一読の価値はあります。じっくりとご覧下さい。

「近くの山の木で家を作る運動」

 最北端の宗谷岬から南の八重山列島まで、延々3,000キロにもわたって弓状に連なる日本列島は、その国土の三分の二は、森林によって覆われています。海岸線の町、盆地の町、どの町を流れる川も遡っていけば、緑の山々にたどり着きます。山は川の源です。海は川の到達点です。この山と川と海が織り成す自然こそ、私たちの生命の在り処であり、暮らしの基盤と言えましょう。

いま。この緑の列島に異変が起きています。破壊的とも言える、山の荒廃です。

何が起きているのか?現実に立って見ることにします。
つい最近、杉の木の山元立木価格が、1960年(40年前)の価格に戻ったというニュースがありました。40年前といえば、あんぱん一個の値段は10円、映画館の入場料は115円でした。物価も収入も上昇したというのに、木の値段だけは、40年前の水準に戻ってしまいました。木が育つには、何十年も、何代にもわたる人の手がかかっています。ことに人工林は、雑草木を刈り、つるを切り、枝を打ち、間伐を行う、といった細かな作業を必要としており、これを怠ると、木の成長が抑えられるというだけでなく、環境に大きな影響をもたらします。町がスギ花粉に見舞われるのも、鉄砲水が流出するのも、山の手入れが行き届かないから、といわれています。古くから、治山は治水、と言われてきました。豊かな平野は、後背の山あってのことです。川や海の魚がおいしいのは、山が豊かなればこそです。
木は再生可能な資源であり、地球温暖化防止に重要な二酸化炭素吸収の主役の役割を担っています。 それなのに、山は暮らしが成り立たず、山から人の姿が消えかかっているのです。

 私たちの祖先はごく自然に木という素材を選び、鋸、鉋、鑿などの道具を用いて家を建ててきました。そこには人がいました。山を守り、木を育てる人。木を伐り、製材し、運ぶ人。材を加工し、家に組み立てる人。いま、山から人は失われ、職人の腕は低下したと嘆かれ、柱のキズで背比べする姿は消えたかに見えます。

山の荒廃をストップさせ、木の文化を蘇らせるには、何をどうしたらいいのでしょうか?まず、我々は連鎖する自然と地域の営みの中に生きていることを知りたい。次に我々は、近くの山の木で家をつくる、という考え方を取り戻したい。山と町、川上と川下、生産者と消費者が面と向き合って話し込めば、お互いの置かれた現実がよく見えてきます。山に足を運び、荒れた山の現場に立ち、手入れの行き届いた山を見れば、みずみずしい緑を、協働のちからで取り戻そう、という気持ちが湧いてきます。悩ましいお金の問題も、寄り合って吟味を重ねると、建築費の中で木材費の占める割合が、思われているほど高いものではなく、決して高嶺の花でないことも分かってきます。木は乾燥が大事なこと、土や紙や竹などの自然素材も地域に身近にあることを知ったり、木は建築後も生きて呼吸していることや、木の家は補修すれば寿命が長くなることなど、大切なことがいろいろとみえてきます。これらの価値を、皆で結び合い共有すること、それが、近くの山の木で家を作る運動の原動力です。